新年早々、フランスのパリでイスラム過激派による凄惨な事件が起きた。
社会風刺をイラストで描く新聞社Charlie Hebdoが狙い撃ちされた。以前から過激な風刺を行う同社は、何度か襲われている。

これについて、各国メディアも追悼を意を表し、町ではCharlie Hebdo社を支持する集会も見られる。当然許されない非情な殺戮行為である。
日本では、こうしたイスラム過激派のニュースは報じられても、おそらくイスラム教という宗教への理解が薄い。およそ関心がない。
もちろん、今回のようなイスラム過激派集団と善良なイスラム教徒は、全く別のものとである事を断っておきます。
そうした状況において、メディアやネットでのコメントは、「新聞を書いたほうも悪い」「テロはひどい」という単純な内容が多いように思う。

身近に誰かイスラム教の人がいれば、少しは感じるものがあるが、彼らにとって宗教は、ものすごく大切なもの。特に無宗教に近いような日本人が想像できないくらい崇高な世界であることは、自身も欧州に来てからはじめて感じた。そこを無視してのコメントには賛同できない。
こうしたテロ集団と区別しないまま、普通のイスラム教徒に対する差別も残念ながらある。当然、西側諸国に住むイスラム圏からの移住者側の素行問題もある。しかし、彼らにとって、絶対的なアラーの教え、ムハンマドの予言を馬鹿にした風刺画をパリのような大きな都市で発行すれば、怒りを買うのは誰が考えても明らかなこと。

その意味で、この新聞を発行していた彼らは、それを承知のうえで命がけで言論の自由、表現の自由を貫いた。過去のインタビューで、今回の犠牲者でもある風刺漫画家のステファヌ・シャルボニエは、「ひざまづいて屈するよりは、立って死ぬ方が良い」と述べていて、それが現実となった。

この事件を機に、イスラムに対する批判や風当たりはますます強くなるはずで、各国の移民政策にも影響が出そうだ。既に2世代、3世代目のイスラム系移民が欧州諸国で誕生し、現地の言葉を覚え育っている。彼らの一部は、生まれたときから差別され、社会からも阻害されてきた。そうした彼らがすがるのは宗教に他ならず、過激派のような集団が近づいて、日頃の不満を晴らすことが出来ると洗脳することは簡単だ。
宗教の問題は根が深く、これからも終わることがない。中東では常に戦闘が繰り返されていて、欧米諸国が介入しても戦争は終わらない。

西側諸国に移住したイスラム系の人たちとの共存は難しいのだろうか?ここスイスでも、モスクの新規建設が国民投票で否決されたり、移民の数を制限したり、こうしたことが起こるたび保守的になり、移民との軋轢が増える。善良なイスラム教の人たちは苦悩しているに違いない。そうしたことを身近に感じながら、自身も外国人として日常を暮らす以上、他国において自身の文化を守る限度、スイス社会との共存を考えさせられる事件である。

国境がなければ人種も何もなくうまく行ったのだろうか?ジョンレノンの曲、イマジンを思い出さずにはいられない。