考え方の違いから来る温度差

温度差といえば、天気の話でもしたいところですが、コロナパンデミックも3年が過ぎてもうそろそろ終わりと思った頃、新しい感染力の強いオミクロン株から派生したXBB1.5が確認され、重症化する患者も多いという記事を読みました。

これまで打ったワクチンもほとんど効かなないということで、まだまだウィルスに振り回されそうです。

しかし、3年も経つと、だんだん懐疑的になる人も多く、ワクチン推進派と反対派で分かれている。人間関係にもヒビが入ったという話は多いです。

 

スイスでは終わった雰囲気も

昨夏にコロナ感染防止対策を終了したスイスですが、マスクは誰もしていない状態になり、イベントも多く開催されました。さすがに冬になり、インフルが流行り出すと、マスクを着用する人も増えましたが、ほとんどのスイス人がコロナを話題にしなくなりました。テレビのニュースもほとんどやりません。

一方、日本ではマスク着用は、まだ至る所で常識となっているものの、ワクチン接種の3回目4回目以降は、それほど進んでいません。

これほどまでにウィルスを警戒しているのに、ワクチン接種率は低いのは何故なのか?

これには、やはりその国の性格が現れている気がします。性格というか国民性というか、皆と同じを良しとする日本の文化でしょうか?

マスクは人が密集している都会では、着用した方が良さそうなのはわかります。

しかし、ワクチンとなると、様々な意見が交錯し、ネットに溢れる情報を頼りに打たない方がいいと判断する人もいます。

その逆で、テレビ世代の人間は、テレビの報道する内容を信じて、推奨されるワクチンを打った印象です。自分の周囲を見ても世代間での差がありますし、全てがそうとは言いませんが、傾向として、テレビ世代とネット世代で違いが出ています。

コロナの初年度は、マスクなしで外出しようものなら、白い目で見られ、非難され、時には着用を巡り喧嘩になり、逮捕者も出ています。

スイスでもその手の小競り合いというかトラブルはありましたが、あまり人に関心がないスイス人は、他人がマスクをしていても、してなくても気にしないようです。

ただし、スイスでは、コロナ規則の際は、スーパーなど公共の場での「マスク着用義務」となると皆していましたから、ルールは守る国民です。

日本はマスク着用義務ではなかったはずですが、暗黙の了解で皆が着用しているので、一人でもしていないと村八分といった感じでした。

 

スイスと日本の違いが出た象徴的な対応

先日、中国からの渡航者に対し、PCR検査を求めるかどうかで議論していたEU国ですが、スイスもEUに合わせる形で検査を求めると予想されていました。

しかし、結果は当面の間PCR検査は求めないということで決定し、中国からの渡航者を自由に入国させることになりました。

病床も逼迫しておらず、国民の大多数がウィルスに罹患したか、ワクチンを打ったかで、集団免疫が獲得できているとみなし、国内の医療施設には影響が出ないとしました。

日本は、当然PCR検査を求めて、中国からは、日本人ビジネスマンのビザ発給を止められて、報復措置をされました。

この決定の違いは、やはり象徴的というか、長いものに巻かれるのが良いか、自分たちで考え決定するかの差が出ています。

この違いは、ビジネスにおいても、日常生活においても、人間関係においても似ていて、国民性の違いというしかありません。

どちらの対応が正しいか、良いのか悪いのか?ということではなくて、どうやって物事を決定づけるのかのプロセスが違うようです。

 

小学校からのプレゼン授業

これは小さい頃から学校で教育されます。とにかく、議論が多いスイスの学校。

そして、プレゼンを小学校高学年から、個人で行います。グループのプレゼンもありますが、人前で話す技術や度胸、経験をすでに小学校から積んでいきます。

生まれつき話すのが上手い人や苦手な人はいますが、スイスの人は大多数が人前で臆することなく話せるのは、そのおかげなんだと思います。

そうした背景から、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語という4つの国語と異なる文化を持っていても、教育方針は同じベクトルを示しているため、スイスという一つの国にまとまっているのだと思います。

興味深いのは、中学から高校の教育システムが、地域によって結構違うにもかかわらず、大学になると同じレベルの生徒たちが集まり、着地点としては決してズレないのがスイスの教育システムな気がします。

スイスの競争力の強さはこんなところに隠れているのでしょう。