昨年の東日本大震災により、お亡くなりになられた方々、被災された方々、被災地と縁が深い全ての方々に、心よりお見舞い申し上げます。
SWN Soga-Planning

 日本の大震災から1年が経つ。3月11日の衝撃は、鮮明に脳裏に焼き付いたまま過ぎた1年。あの惨状を忘れないよう、ビデオをしばし見たりもするが、見る度に信じられない気持ちでいっぱいだ。
 あの日を境に、世界中で起きた反原発デモ。ここスイスでも、原発の停止の閣議決定がすぐにされ、福島の原発事故の意味を皆が考えた。
それでも、現在の福島の状況は落ち着かない上、原発再稼働や電気料金の値上げなど、全く順序が逆の話しが出て来ていることに驚く。不透明なまま、この原発事故をなかった事にしたいのか。原発事故の影に被災者の破壊された生活がおざなりにされている。

 技術先進国の日本は、壊れた建物や道路の復旧はとにかく早い。世界が賞賛し、メディアなどで紹介されているが、その精神力、実行力は素晴らしい。だが、事が政治に及ぶと、何も決まらないという全く逆の状況。被災者が不憫でならない。

 原発の事故で忘れられがちな被災者の現状だが、ここスイスでも日本とは関係のない人達が、日本を思い支援をしてくれた。スイスは特に、額としても非常に多くの義援金を日本に送っている国の一つだ。震災1年を目前にした1週間は、スイスのTVはもちろん、ドイツ、フランス、アメリカなど、各国が特集を組んで日本の状況をレポートした。スイスのTVでは、復興に立ち上がる人達にも焦点をあて、日本人の精神力の強さにも触れた。

 日本の復興の障害はいくつもあるが、まずは物事を決められない政治。政治家の発言する内容を聞くと、「法律を変えないと出来ないから、現状難しい、仕方ない」ということを言う政治家が多いが、法律を制定し、この世に合うよう変えて行くのが政治家の仕事であるはずなのに、これでは職務放棄に等しい。こうした政治家達に大量の税金が使われ、被災者にはごくわずかな額しか渡らない。世界中から集まった支援は、無駄になっていないのか?疑いたくもなる。
 決められない理由も、情報が不透明な理由も、全て既得権益。これだけの自然災害で、2万人近くの人が亡くなり、行方が分からなくても、それでも、自分の利権は守りたいのか。外から見た日本は、非常に恥ずかしい。

 海外のメディアが、日本の震災のニュースや福島の事故を報じなくなっても、日本人は復興のために行動を起こし、実行し、変えて行ってほしいと切に願う。ここで変わらなかったら、この先も変えられない気がする。
 しかし、日本人として日本の復活を信じたい。